どうも、だらだらです。
ーーー人生には意味が必要なのかもしれない。
最近、そんなことを考えるようになった。
人生の意味と言っても、究極的な心理を知りたいわけじゃない。
ただ、「日々の生活を精神的に支えてくれる何か」が欲しいのだ。
若い頃の僕は、人生に意味がないと強く信じていた。
どんな努力も、遺伝的才能や環境の良さの前には、全く歯が立たない。
実際、僕は普通になりたくて努力したけど、発達障害の特性がそれを許さなかった。
結局、友達や恋人を作ることはできなかったし、正社員で踏ん張り続けることもできなかった。
完全な底辺。
負け組ですよ。。。
発達障害は先天的な障害だから、僕の努力ではどうしようもない。
要するに、人生は運の良さで勝敗が決まるのだ。
それなら、努力しても無駄じゃないか!!!
サイコロを投げるのと同じで、どんなに努力しても6が出る可能性は変わらない。
(どんなに力んでも、1/6の確率は変わらない😅)
そんな考えから、人生なんて意味がないと思っていた。
でも、その考え方が徐々に変わってきた。
確かに、人生は運ゲーの要素が強い。
僕みたいな弱者男性からすると、人生は本当にクソゲーだと思うよ。
でもクソゲーだからと言って、意味を求めないのは違うんじゃないか?
そう思うようになったのだ。
人生でどんな意味を悟っても、理不尽な目には遭うだろう。
人生の意味を持ったところで、僕の生きづらさは治らないからね。
ただ、同じ理不尽な目に遭っても、心の持ちようで印象が大分変わる。
例えば、仕事での失敗を成功の基と考えれば、失敗して良かったと思えるだろう。
逆に、失敗を発達障害のせいにしたら、自分の人生なんてダメなんだと考えるだろう。
このように、同じ悪いことでも受け止め方を変えるだけで、相当印象が変わってくるのだ。
それならば、ツラいことがあった時に良い風に受け止めたい。
そう考えるようになったのだ。
そして、良い方に物事を受け止めるには、ツラい出来事に意味を見出す必要がある。
人はツラいことがあると、本能的にネガティブになる。
(それは説明しなくても、経験的に分かるよね?😅)
よって、ツライことを良い方に捉えるには、ツラいことに意味を見出す必要があるのだ。
これは節約を例にすると分かりやすいかもしれない。
節約は買いたいモノを我慢する行為なので、多くの人は苦痛を感じてしまう。
よって、何の目的もなく節約をすると、苦痛を我慢できずに挫折してしまう。
これは、節約を悪い方に捉えてしまっているわけだ。
でも、住宅を購入するとか、〇千万貯めてFIREするみたいな目的があると話は違う。
今までは苦痛でしかなかった節約に意味が加わり、節約の苦痛を前向きに捉えられるのだ。
もちろん、買いたいものは買えないから、苦痛自体はなくならない。
でも、目標の為に苦痛に耐え抜く力が出てくるのだ。
僕も最初は節約がツラかったが、資金を増やす目的があるから節約に励めた。
(今は完全に習慣になって、苦痛を感じないけどね🙄)
そう考えると、ツラさに意味を与えることはかなり重要なのだ。
そのことに、愚かな僕はようやく気付いたわけ。
セミリタイアして仕事のストレスはなくなった。
端から見たら気楽な生活に見えるかもしれない。
ただ、実際はそうじゃない。
この生活にもツラさを感じている。
僕は正社員に挫折し、普通の生き方を放棄してしまった。
その後悔がまだまだ尾を引いている。
このツラさを解消したいからこそ、僕は人生に意味を求めているのかもしれない。
今この記事を書いてて、そんな気がしてきた。
何か気持ちを吐き出していたら、乱雑な文章が出来てしまった。
まぁ、元々クソみたいな個人ブログなので、さらっと聞き流して下さい。
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