どうも、だらだらです。
最近、凹凸ちゃんねるで面白いまとめを見つけた。
(凹凸ちゃんねるは生きづらさを扱ったまとめサイトです💻)
色んな当事者が諦めたことを知れて、結構面白かったです。
まぁ、発達障害は一般社会に向いてないから、色々と諦める場面が出てくる。
特に正社員を諦めたと言う投稿を見て、ギクリと感じてしまったよ。
実際、僕だって発達障害のせいで諦めたことがいくつもあるからね。
今回は、僕が発達障害によって諦めたことを記事にしていく。
他人との親密な関わり合い👩👩👧👦
障害で諦めたことで真っ先に浮かんだのは、他人と人間関係を築くことだ。
僕はプライベートで個人的な関係を作らないようにしている。
ここで言う個人的な関係とは、利害関係がない友達のことだ。
用事がなくても話したり、遊んだりする友達と理解してほしい。
なので、僕の人間関係は全て組織やコミュニティを介在している。
同僚や顧客は会社を通しての人間関係だし、麻雀仲間は麻雀のコミュニティでしか付き合いをしていない。(ブログの読者は匿名なので、人間関係に含んでない😑)
そういう点では、個人的な友達は世界に一人もいないと言える。
個人的な付き合いを排除しているのは、過去の人間関係で酷い目に遭ってるからだ。
正直、両親・兄弟以外の人と接して、良かった思い出はほとんどない。
学生時代はいじめられまくったし、社会に出ても爪弾きに遭いまくった。
こんな経験ばかりだから、孤独の人生を生きようと思ったわけ。
ただ、基本的に孤独を受け入れてるとは言え、寂しい時がないわけじゃない。
だからこそ、コミュニティを通した人付き合いは持っているわけだ。
以上のことを考えると、発達障害の特性が深い人間関係を諦めさせていると言える。
平均的な生活レベルで暮らすこと🤑
発達障害を持っている人は、仕事で苦労する人が多い。
ADHDでケアレスミスが多かったり、コミュ障で人間関係を上手く構築できないからだ。
僕も仕事ができない発達当事者の1人であり、15年の社会人生活の間にに25社以上の転職をしている。
こう言った人間にとって、自分の収入で自活することは並大抵のことじゃない。
ましてや、平均的な収入を稼ごうなんて、遠い夢の話だよ。
だからこそ、僕は平均的な生活レベルを放棄し、最低限度の生活をしているのだ。
もし、安定的に普通の収入が得られるなら、生活レベルをもっと上げていたと思う。
そう考えると、僕の貧乏暮しは発達障害の原因も大きいと言える。
幸い、僕は貧乏暮らしに向いてたから良かったけど、向いてなかったらと思うとゾッとする。
我慢できる性格じゃないから、お金目当ての事件を起こしてたと思うよ。
そう考えると、貧乏に向いてる発達障害でよかったと思うね。
向いてないモノの努力😓
自分の発達障害が分かった時、僕は向いてないことへの努力を辞めた。
それまでの僕は、自己啓発にハマるくらい努力信仰が強い人間だった。
何でも人並み以上に努力すれば報われると思っていたからね。
でも、発達障害の特性は努力で治らない。
努力や治療で治らないから障害なのだ。
そのことを知ったから、向いてないことへの努力を辞めたわけだ。
こう書くと、かなり保守的な考え方に聞こえるかもしれない。
イメージで言うと、好きなことだけ努力して、嫌いなことはやらない感じだ。
でも、それは全く違う。
なぜなら、僕が求めているのは好き嫌いではなく、自分自身の適正だからだ。
好き嫌いは何となく感覚で分かるけど、自分の適性は実際に経験してみないと分からない。
まさか、僕がビルメンに適正があるとは思わなかったもん。
その例を見ても、自分の適性を知るには、色んなことに挑戦する必要がある。
実際、僕は短期間の努力を続けて、向いてなかったら会社を辞めることを繰り返してきた。
そうやって、フラフラ色んな仕事を経験するうちに、ビルメン業界で生計が立てるようになったのだ。
また、その過程で節約と投資に適正があることを知り、セミリタイアをすることもできた。
そう考えると、努力を諦めたことで、逆に人生がうまく行ってしまったわけだ。
ただし、僕は当事者全員に向いてない努力を辞めろとは言えない。
僕が何とかなった理由は、幸運に恵まれた部分が大きいからだ。
僕が自立できるまでの約10年、両親は何も言わずに僕を養ってくれた。
また、ビルメン業界に出会い、その中でも比較的向いてる現場に配属されたのも大きい。
こう言った幸運が重なったからこそ、僕は何とか生計を立てられるようになったのだ。
そう考えると、向かないことへの努力放棄は、かなりリスクが高い生き方だと思う。
とは言え、20代半ばで若かった僕は、向かないことへの努力を辞めた。
そして、何とかなってしまったので、今でもその手の努力は諦めている。
まとめ😎
今回は僕がはたっつ障害で諦めたことを書いた。
最後の向かない努力の話は、ちょっと話題から逸脱してしまったかもしれない。
でも実際、僕は発達障害の診断を機に努力信仰を捨てたから、そういう点では諦めたと言えるだろう。
まぁ、発達当事者にとって一般社会は、すごく生きにくい社会だ。
だから、健常者と比べて色んなことを諦めないといけない。
でも、諦めることは悪いことばかりじゃない。
諦めると選べる選択肢が少なくなる。
そうすると、選択で悩むことが少なくなるし、選んだ選択肢に集中できるメリットもある。
phaさんは『知の整理術』で制限は力であると言っているが、本当にその通りだと思うよ。
僕も他に選択肢がなかったから、フラフラした生活に邁進したわけだからね。
とは言え、選択肢はたくさんあった方がいい。
もし、選択肢が少ない人がその道で失敗すると、人生が詰みかねないからだ。
何だか何を言いたいのか分からなくなってしまった。
なので、ここで記事を閉めさせてもらう。
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