どうも、だらだらです。
最近、生きづらさを語る人が増えた気がする。
これらの概念を知って、色んな生きづらさがあるんだなぁと思ったよ。
ただ、それと同時に思うこともある。
それは、どんな人だって生きづらさはあるということ。
一見、幸せそうに生きてる健常者だって、大なり小なり生きづらさを感じてるよ。
(一般枠で長年働いた僕が言うんだから間違いない😤)
そう考えると、生きづらさって別に特別なものではなく、陳腐で当たり前のモノだ。
今回はこの生きづらさについて、僕の私見を書いていく。
諦めや割り切りも大事😤
生きづらさに対する一番の処方箋は、生きづらさと戦わないこと。
大抵の生きづらさは、努力で何とかなるものではない。
何とかなるんだったら、みんな生きづらさを解消してるよ。
要するに、生きづらさって、本人ではどうしようもないわけさ。
なので、生きづらさについては、ある種の諦めや割り切りが重要だと思う。
諦めてしまえば、生きづらさのせいで余計なストレスを抱えることもない。
大抵の人は生きづらさで苦しむよりも、幸せそうな周囲と生きづらい自分を比べる部分の方が大きいと思う。
それなら、無理なモノは無理とあきらめて、できることに集中した方がいい。
ニーバの祈りと言う依存症界隈では有名な文言がある。
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
変えられないものを受け入れ、できることは頑張ってみる。
それは依存症に限らず、生きづらさへの心構えとしても有効だと思う。
もちろん、この祈りを完璧に実行できる人は少ないだろう。
僕だってほとんどできてないよ。
でも、この考えを知っておくだけでも気が楽になるかなとは思う。
生きづらさは力になる💪
僕の好きな言葉に、「制限は力」と言うモノがある。
(これはpha著『知の整理術』の言葉)
基本的に、人間は選択肢が多い方がいいとは思う。
でも、心理学的に言うと、人間は選択肢が多すぎると幸福度が下がる生き物らしい。
確かに、選択肢が多すぎると、迷って逆に失敗することも多い。
一方、制限があると悩むことがなくなるから、そのリソースをできることにそそぐことができる。
確かに、僕も発達障害のことがあったから、ビルメンやセミリタイアの道を見出だせた。
そう言う点では、発達障害と言う制限が僕の人生を大きく変えたと言える。
このように、生きづらさが自分の強みになったり、自分らしい生き方を見つけることができる。
そう考えると、生きづらさは悪い面だけじゃないのかもしれない。
社会との折り合いをつけることを目指す😁
今まで色々書いてきた。
でも、結局は社会といかに折り合いをつけるか?
これに尽きると思う。
どんな人間も社会と関わることからは逃げられない。
だけど、自分に合わない社会の関わり方は、人生を不幸にしてしまったり、うつ病につながったりする。
だからこそ、自分のできることやできないことを知り、自分なりに折り合いをつけることが重要なのだ。
てか、この折り合いの付け方を探すことが人生だと僕は思うよ。
実際、僕はそんな人生を送ってきた。
子供の頃から社会に馴染めなくて、色々試しては失敗し、今の生活にたどり着いた。
そう考えると、生きづらさは自分の生き方を考える契機とも言えるし、羅針盤であると言える。
確かに、生きづらさは辛い。
でも、それに囚われてウジウジしてても仕方がない。
また、普通の生き方に固執して精神病になるのも芳しくないだろう。
だからこそ、社会と向き合い、生きづらさを付き合いながら、答えを見つけてくしかない。
僕はそう思ってる、
まとめ😎
今回は生きづらさについて、僕の私見を書いた。
確かに、生きづらさは辛いよ。
僕もこの生きづらさのせいで、諦めたことがいくつもある。
でも、その代わりに得るものもあった。
痛い目をみるたびに自分の適性や苦手なところが見えてきた。
また、生きづらさがなかったら、こんなに一生懸命人生を考えなかったと思う。
そう言う点では、感謝は全くしてないけど、全てを悪者にするほど憎んではいない。
まぁ、これからも僕は生きづらさと付き合いながら、社会と接していきます。
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