どうも、だらだらです。
僕は会議が苦手だ。
資料の音読を聞いていると眠くなってくるし、会議でロクな結論が決まることがない。
そして、会議は上司や同僚に忖度する雰囲気があって、精神的にとても疲れる。
なので、僕は会議をするくらいなら、トラブル対応をしてた方がマシだと思うくらいだよ。
ただ、会議に出るたび、健常者の能力に驚くことがある。
それは周りの意見に忖度して、自分の意見を決めれることだ。
僕は意見を考える際に、自分視点でしか考えることができない。
よって、僕の意見は完全オリジナルになる。
そうなると、他者との意見対立が起こりやすいし、変な意見だと思われることも多い。
でも、健常者の彼らは違う。
まず周りを見て、その人たちの考え方や結論を推定する。
そして、その集団内における多数派の意見を推定し、その意見を選んでいく。
こんな感じで健常者は、意見を考えているらしいのだ。
この方法なら周りとの意見対立を避けれるから、人間関係を良好に保つことができる。
また、その集団での最適解を効率的に導き出せるから、職場でも優秀な人間になれるだろう。
まぁ、健常者からしたら、こんなことは当たり前なのかもしれない。
でも、自分視点しかない僕にとって、これは驚くべきことだ。
そもとも、なぜ周りの意見を推定することができるのだろう?
一時期僕も周りを忖度してみようと努力したが、、周りの考えてることなんて全く分からなかった。
断片的な情報しかないのに、なぜ他者の意見を推定できるのか?
僕にはいくら考えても分からなかった。
だから、そんな僕からすると、健常者の人達はエスパーにしか見えない。
そういう点では健常者はすごいなと思うし、僕の会議嫌いは能力の問題だなとも思う。
ただ同時に、こんな会議は意味がないんじゃないか?とも思う。
そもそも会議の目的は色々な意見をぶつけ合い、より良い意見を導き出すことだ。
それなのに、周りの意見に忖度して意見を考えていたら、ほとんどが似たような意見になってしまう。
それだと、意見がぶつかる要素がないから、より良い意見になることはほとんどないんじゃないか?
そう思っているので、つい最近までは会議なんて時間の無駄であり、やる意味なんてないと思っていた。
でも、最近は会社が会議をやりたがる意味を何となく分かってきた。
会議って社員を洗脳するための儀式なんじゃないか?
そう思うようになったのだ。
最初に書いた通り、会議では会社の意見に忖度することが求められる。
人間は周りの人と同じ行動を取りたがる動物だ。
だから、みんなが会社の考えと同じ意見を発言すると、自分も会社の意見に従わないといけない気になる。
それを繰り返すうちに、社員たちは自然と会社の考え方を刷り込まれていく。
要するに、洗脳ですよ。
そんな神聖な儀式の中では、僕みたいに忖度できない人間は害悪でしかない。
会社に忖度しない意見が紛れ込むと、社員を洗脳できないからね。
だからこそ、会社は空気の読めない人間を異教徒扱いするわけさ。
しかも、共通の敵を作ることは集団の結束力を高める。
そう考えると、会社にとって会議は一石二鳥の行為だと言える。
逆に言うと、異教徒の僕は会社から嫌われ、酷い扱いを受けることになるわけだ。
確かに今考えてみると、管理職などの偉い人ほど会議が好きだもんなぁ。
そして、えらい人ほど社員を洗脳した方が利益が大きい。
そう考えると、この説は案外間違ってないんじゃないか?
そういう風に感じます。
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