一生ダラダラ生きるブログ

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会議って洗脳の儀式なんじゃないの?🥹

どうも、だらだらです。

 

僕は会議が苦手だ。

 

資料の音読を聞いていると眠くなってくるし、会議でロクな結論が決まることがない。

 

そして、会議は上司や同僚に忖度する雰囲気があって、精神的にとても疲れる。

 

なので、僕は会議をするくらいなら、トラブル対応をしてた方がマシだと思うくらいだよ。

 

ただ、会議に出るたび、健常者の能力に驚くことがある。

 

それは周りの意見に忖度して、自分の意見を決めれることだ。

 

僕は意見を考える際に、自分視点でしか考えることができない。

 

よって、僕の意見は完全オリジナルになる。

 

そうなると、他者との意見対立が起こりやすいし、変な意見だと思われることも多い。

 

でも、健常者の彼らは違う。

 

まず周りを見て、その人たちの考え方や結論を推定する。

 

そして、その集団内における多数派の意見を推定し、その意見を選んでいく。

 

こんな感じで健常者は、意見を考えているらしいのだ。

 

この方法なら周りとの意見対立を避けれるから、人間関係を良好に保つことができる。

 

また、その集団での最適解を効率的に導き出せるから、職場でも優秀な人間になれるだろう。

 

まぁ、健常者からしたら、こんなことは当たり前なのかもしれない。

 

でも、自分視点しかない僕にとって、これは驚くべきことだ。

 

そもとも、なぜ周りの意見を推定することができるのだろう?

 

一時期僕も周りを忖度してみようと努力したが、、周りの考えてることなんて全く分からなかった。

 

断片的な情報しかないのに、なぜ他者の意見を推定できるのか?

 

僕にはいくら考えても分からなかった。

 

だから、そんな僕からすると、健常者の人達はエスパーにしか見えない。

 

そういう点では健常者はすごいなと思うし、僕の会議嫌いは能力の問題だなとも思う。

 

ただ同時に、こんな会議は意味がないんじゃないか?とも思う。

 

そもそも会議の目的は色々な意見をぶつけ合い、より良い意見を導き出すことだ。

 

それなのに、周りの意見に忖度して意見を考えていたら、ほとんどが似たような意見になってしまう。

 

それだと、意見がぶつかる要素がないから、より良い意見になることはほとんどないんじゃないか?

 

そう思っているので、つい最近までは会議なんて時間の無駄であり、やる意味なんてないと思っていた。

 

でも、最近は会社が会議をやりたがる意味を何となく分かってきた。

 

会議って社員を洗脳するための儀式なんじゃないか?

 

そう思うようになったのだ。

 

最初に書いた通り、会議では会社の意見に忖度することが求められる。

 

人間は周りの人と同じ行動を取りたがる動物だ。

 

だから、みんなが会社の考えと同じ意見を発言すると、自分も会社の意見に従わないといけない気になる。

 

それを繰り返すうちに、社員たちは自然と会社の考え方を刷り込まれていく。

 

要するに、洗脳ですよ。

 

そんな神聖な儀式の中では、僕みたいに忖度できない人間は害悪でしかない。

 

会社に忖度しない意見が紛れ込むと、社員を洗脳できないからね。

 

だからこそ、会社は空気の読めない人間を異教徒扱いするわけさ。

 

しかも、共通の敵を作ることは集団の結束力を高める。

 

そう考えると、会社にとって会議は一石二鳥の行為だと言える。

 

逆に言うと、異教徒の僕は会社から嫌われ、酷い扱いを受けることになるわけだ。

 

確かに今考えてみると、管理職などの偉い人ほど会議が好きだもんなぁ。

 

そして、えらい人ほど社員を洗脳した方が利益が大きい。

 

そう考えると、この説は案外間違ってないんじゃないか?

 

そういう風に感じます。

 

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