サイドFIREに挫折しました。。。😵

(旧:一生ダラダラ生きるブログ)サイドFIREにたった1年で挫折。その末路をダラダラ書いてきます。

発達障害は「体質」だと思う🙂

どうも、だらだらです。

 

発達障害の捉え方は、大きく分けると2種類ある。

 

それは、「障害」と「個性」だ。

 

前者は発達の特性を悪いモノだとして、特性を薬で抑えることを目指す。

 

一方、後者は発達の特性を良いモノだとして、その特性を活かした生き方を目指していく。

 

どちらの考えも間違っているとは思わない。

 

でも、僕にはどちらの考えも納得ができなくて、何となくモヤモヤしていた。

 

しかし、坂口恭平著『躁鬱大学』を読んで、しっくりと来る捉え方を見つけることができた。

 

それは、「体質」だ。

 

発達障害を「体質」だと捉えると、僕の中では発達障害がしっくりカテゴライズされる。

 

参考書籍

 

今回はこのテーマで僕の私見を書いていきたい。

「障害」と言うには曖昧過ぎる🙄

さっきも書いたが、発達の特性を「障害」と捉えるのは間違いじゃない。

 

多くの当事者にとって、発達の特性は生きづらさに繋がるからだ。

 

発達障害の主な症状はコミュ障・注意欠陥だけど、これらの特性が役立つことはほぼない。

 

たいていは、足を引っ張る方向に向かっていくだろう。

 

そう考えると、多くの当事者にとって、発達の特性は「障害」だと言える。

 

それでも僕がモヤモヤしてしまうのは、発達障害はその存在を確認することができないから。

 

発達障害は見た目で分かるような障害じゃない。

 

また、どんな精密検査を受けても、定量的に発達障害を診断することはできない。

 

要するに、発達障害は明確な障害の基準を作ることができないわけだ。

 

健常者との明確な線引きが出来ない以上、発達の特性を「障害」にカテゴライズすることに違和感を覚えてしまう。

 

また、発達障害は人によって症状が全く異なるのも大きな理由だ。

 

例えば、ALSは明確な原因は分かっていない。

 

でも、体が動かなくなるとと言う明確な特徴がある。

 

よって、進行が進んだALS患者を誤診することはあり得ないだろう。

 

それに比べて、発達障害は特性が人によって全然違う。

 

コミュニケーションに障害がある人もいれば、注意力に問題がある人もいる。

 

また、文字を読むことが難しかったり、手先が不器用な人だっている。

 

ここまで特性に幅があると、一括りに「障害」とカテゴライズするのは難しいんじゃないか?

 

以上のことを考えると、「障害」にカテゴライズするのに、納得できない自分がいる。

「個性」は夢見がち過ぎる😅

「個性」についても、間違ってはないと思う。

 

さっきも書いた通り、発達の特性は人によって全く異なる。

 

よって、「個性」と言う捉え方も間違いとは言えないのだ。

 

でも、僕は発達障害を「個性」と言う人があまり好きになれない。

 

なぜなら、「個性」と言う言葉には、ポジティブなニュアンスが含まれるからだ。

 

たいていは、「発達障害の偉人の例を持ち出して、発達当事者でも「個性」を発揮すれば成功できる」みたいな話になることが多い。

 

でも、これは発達当事者の現実とは全く違う。

 

さっきも書いたが、多くの発達当事者は自分の特性に苦しんでいる。

 

社会に馴染むことが出来ず、二次障害や貧困に苦しむ当事者もかなり多い。

 

実際、スウェーデンの研究では発達障害を持つ人は、平均寿命が18年も短いといわれているからね。

 

関連記事

 

こんな現実の中で、一部の例外的な成功例を持ち出し、発達のネガティブな面を否定するのは、当事者を苦しめる結果にしかならんのよ。

 

こう言う輩には、生存バイアスと言う言葉を100万回叩き込んでやりたい。

 

このように、発達障害を「個性」と捉えることは、極端な理想論になりやすく、実態を無視される可能性がある。

 

だからこそ、発達障害を「個性」と捉えることには、違和感を感じてしまうね。

「体質」が一番しっくりくる🥰

最初に書いた『躁鬱大学』の序文に、以下の様な言葉が出てくる。

躁鬱病は病気というよりも、一種の体質です。

 

これは躁鬱病について書かれたモノだけど、そのまま発達障害にも当てはまると思う。

 

発達当事者に限らず、人間は何かしらの「体質」を持っている。

 

その「体質」は千差万別で、乗り物酔いする人もいれば、夜型人間で早起きが苦手な人もいる。

 

発達障害もそれと同じで、たまたまコミュ障だったり、ケアレスミスが多い「体質」を持っているだけなのだ。

 

そう考えると、「体質」は「障害」のようにキッチリとした基準がなくてもいい。

 

その点を考えると、発達障害は「体質」に近いモノだと僕は考える。

 

また、「体質」の向き合い方も発達的だなぁと思う。

 

「体質」は基本的に治るものじゃない。

 

よって、基本的に一生付き合っていくモノだ。

 

これは、発達障害のアプローチにすごく似ている。

 

発達障害の特性を抑える薬はある。

 

でも、全ての特性を抑えることは不可能に近い。

 

よって、その特性による生きづらさと付き合い、自分なりに折り合いをつけていくしかないのだ。

 

そう考えると、発達障害の付き合い方と「体質」の付き合い方は似てるのではないだろうか?

 

少なくとも、僕はそのように考えている。

まとめ😎

今回は発達障害の捉え方を僕なりに考えてみた。

 

どんな捉え方をしても、自分の生きづらさが変わるわけじゃない。

 

そういう点では、ただの言葉遊びだと言われても全く反論できない。

 

とは言え、客観的に同じモノであっても、見方を変えるだけで印象がだいぶ変わったりする。

 

少なくとも、僕は発達障害を「体質」と捉えるようになって、自分の特性をだいぶ楽に考えられるようになった。

 

「障害」と捉えると自分の脳に異常があるような気がして悲しくなる。

 

また、「個性」は一部の例外的成功者とのギャップに苦しめられる。

 

その点、「体質」は「障害」ほど自分自分を責める必要はないし、「個性」ほど理想論に逃げるわけじゃない。

 

そう考えると、発達障害を「体質」として捉えるのが一番自然体でいられる気がする。

 

もし、発達持ちの読者がいるなら、自分の特性を「体質」と捉えてはどうだろうか?

 

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