どうも、だらだらです。
人は誰しも、楽しい人生を送りたいと考えているだろう。
それは僕だって同じだ。
一回きりの人生なんだから、楽しい時間を過ごしたいとは考える。
でも、実際に毎日が常に楽しい時間だったら、それはそれで地獄だと思う。
そう考えると、楽しい時間はたまに程度がちょうどいいのかもしれないとも考えるのだ。
今回はこの点について、僕の私見を記事にしていく。
楽しさは慣れてしまう🥰→😑
人間は良くも悪くも適応力が高い生き物だ。
なので、どんな過酷な環境でも時がたてば、たいていのことには慣れてしまう。
実際、人間は慣れる力があったからこそ、どんな環境でも生き延びることができたわけだからね。
このように環境に慣れる力は、人間の素晴らしい能力の一つだ。
でも、悪い面もないわけじゃない。
それは、楽しさや快感にも慣れてしまうことだ。
初めは楽しかったことでも、それが続くと人間は慣れてしまって、楽しさを感じなくなってくる。
そうすると、新たな楽しさを求めて、より刺激の強いモノを求めていくのだ。
そして、より強い刺激を求めるほど、日常が苦痛に満ちた日々になっていく。
例えば麻雀なら、最初はアガるだけで満足できた欲求が、次第にそれでは満足できなくなる。
人よりもいい成績を出したいとか、ネット麻雀で最強の称号が欲しいと感じるようになる。
でも麻雀は運ゲーだから、いくら強くなる勉強をしても、いい成績を出せるとは限らない。
実際、トップレベルの実力を持つ人でも、運悪いだけで200半荘以上負け続けることもある。
でも、いい成績を出したい人は、そのストレスに耐えながら、麻雀を打ち続けなくてはいけない。
要するに、いい成績を求めるために、大きなストレスを抱えているわけだ。
人生もこれと同じで、達成が難しい欲求を求めるほど、その人の日常は苦行になる。
そう考えるからこそ、僕は楽しい時間の頻度をあえて少なくしたいのだ。
楽しい時間が少なければ、その楽しさに慣れることはない。
そうすれば、大きな欲求や刺激を目指して、苦行に満ちた人生を送らずに済むわけだ。
仏教では、足るを知る者は富むと言う。
また、イカロスの翼では過度な欲求の追及によって、身を滅ぼす話もあったりする。
こう言った例を見ても、楽しさはたまに感じるくらいがちょうどいいのではないかと思うのだ。
楽しいはすごく疲れる🥴
これは僕だけかもしれないが、楽しいって疲れることが多い。
確かに、好きなことをしている時間はすごく楽しい。
でも、それと同じくらい疲れを感じて、家に帰りたい気持ちになる。
例えば、僕は麻雀が好きだけど、ここ1年間はほとんど麻雀を打ってない。
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それは、麻雀で感じる楽しさよりも、疲れの方が大きいからだと思う。
正直、楽しい時間を過ごして疲れるより、つまらない仕事をして疲れない方がいい。
最近はそう感じるようになった。
これは発達障害の特性と老化が原因なのかもしれない。
僕はASD持ちで環境の変化にすごく弱い。
なので、良い悪いに限らず、強い刺激自体があんまり得意じゃないのだ。
ただ、若い時は体力があったから、その苦手をカバーすることができた。
また、自分に合った生き方がまだ分かってなかったから、新しいことに手を出さざるを得なかったのもある。
でも、今は自分に合った生き方が何となく分かってきたし、老化によって強い刺激に耐える体力もなくなってきた。
だからこそ、楽しさの頻度が少ない方がいいと感じるようになったのかもしれない。
もう、おっさんの僕には刺激の多い生活は、心身の消耗が激しすぎるよ。
そう考えると、セミリタイアしたのは、そんなに間違いじゃなかったのかもね。
まとめ😎
今回は楽しい時間の頻度について、僕の私見を書いた。
これでも若い頃は、頻繁な変化を求める性格だと自認していた。
実際、25社以上の転職をしてきたし、色んなボランティアや趣味にも手を出した。
そう考えると、とても保守的な性格には見えないだろう。
でも、僕がフラフラと生きてこれたのは、自分が若かったからに過ぎない。
昔は変化することに躊躇はなかったけど、今は何でもいいから落ち着きたい気持ちが強い。
そう考えると、フラフラした生き方は、やっぱり若者の特権だと僕は思う。
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なので、普通の生き方が出来ない人は、フラフラ生きるのはアリだと思う。
普通の社会に馴染めない人は、一般社会に固執すると心身が壊れる可能性が高いからね。
だからこそ、フラフラしてもいいから、自分に合った生き方を見つけてほしいと思う。
それと同時に、おっさんになった僕は、そろそろフラフラした生活を卒業する時期なのだと思うのだ。
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