どうも、だらだらです。
プロフィールでも書いてあるけど、僕には発達障害がある。
具体的な診断名は、アスペルガー症候群(今のASD)とADHDだ。
ちなみに、診断は25歳の時に受けている。
僕は一般就労で働いている事もあり、あまり自分の障がいを意識した事はなかったんだけど、人生の棚卸の意味も含めて発達障害について考えてみたくなった。
その第一弾として、僕が発達障害の診断を受けるまでの経緯を書きたいと思う。
発達障害が分かるまで
僕は、物心がつく頃から周りの人に合わせるのが苦手だった。
学校時代は周りに合わせる事ができなかったから、親しい友達は出来なかったし、小中高はいじめられる事がほとんどだった。
特に周りから細菌扱いされて、僕が近づくたび嫌な顔されたのが一番辛かったかな。
あと、健常者なら子供でも出来る簡単な事でも、僕には出来ない事も多かった。
例えば、時間割は健常者なら誰でも出来ると思うけど、僕は高校生になっても上手くできなかったから、忘れ物ばかりだった。
それでも、それなりに勉強ができたから変わり者扱いされるくらいで、障がい者認定される事はなかった。
そんな感じで辛い事が多かったけど、一応現役で小中高大と駒を進める事ができた。
そして、一応新卒でとある企業に就職し、地獄の日々を過ごす事になるのだった。
学生時代も辛かったけど、社会人の方が何倍もキツイ。
学生時代の時は勉強さえできてればよかったけど、仕事では作業をきちんとこなして結果を出す必要がある。
でも、僕は普通の人なら簡単にこなす、作業すら全く出来なかった。
例えば、電話番やコピーを取る事すら出来なかったし、自動車の運転が下手すぎて事故りまくってクビになった事もあった。
こんな感じだから、学校を卒業してから短期離職と解雇を繰り返して、流石の僕も自分がおかしい事に気づいた。
それで僕が25歳になった時、発達障害の診断ができる病院に検査を依頼したのだ。
発達障害の検査時
僕が発達障害の診断を受けたのは都内の病院だ。
ちなみに、心理検査の予約を1度すっぽかしてしまったから、2回分の検査費用を払っている。
1回の費用が約2万円だったから、本当に泣きたくなった記憶がある。
話が脱線してしまったから、本題にもどろう。
その病院では、医師のヒアリングと臨床心理士の心理検査を受けた。
カウンセリングでは、医師の質問に答える形で、主に僕の幼少期~学生時代の状況について色々答えた。
学生時代の通信簿を持ってくるように言われていたので、それを医師が見ながら質問していく感じだった。
僕からすると学生時代のトラウマが蘇ってきて、正直いい気分じゃなかったけど、頑張って正確に答えようとしたのは覚えている。
一方、心理テストではWAISの心理テストをやった。
2023年度時点ではWAIS-Ⅳになっているらしいけど、僕が受けた時はまだWAIS-Ⅲだったと思う。
具体的な内容としては、ブロックを見本通りに並べたり、IQテストみたいな問題を解くような感じだった。
心理テストは問題を出してくれた心理士さんが良い人だったので、結構楽しくテストを受けれたと記憶している。
発達障害を診断される
後日、検査結果を知る為に病院へと赴いた。
10年以上前の話で詳しい内容は忘れたけど、コミュニケーションの障害が一番キツイみたいな話を受けたと思う。
心理検査の結果は全体のIQが93で、言語性IQが100・動作性IQが80だった。
要するに、勉強や言語理解は平均的だけど、体を使った作業が苦手というわけだ。
特に処理速度の項目が低かったから、作業のスピードを求められたり、並行作業をする事がとても苦手らしい。
実際、僕はマルチタスクや緊急性のある対応が苦手だから、この結果は的を得ていると思う。
こうして、僕は25歳にして障がい者にジョブチェンジしたというわけだ。
まとめ
今回は僕の発達障害が分かるまでの経緯について書いてみた。
こうして自分の過去を書くと、少し胸につかえるものがある。
この時期はものすごく生きづらさを感じてたから、そのトラウマを思う出してしまうのだと思う。
それでも、こうして今は楽しく生きれるようになったから、発達障害が判明して良かったなと思っている。
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