どうも、だらだらです。
僕の人生遍歴シリーズです。
前回は新卒で入った会社の事を書いた。
新卒で入ったパチンコ店を3か月で辞め、約1年間ニートをしていたのが要約だ。
その後、運転免許を取って転職するんだけど、ここからが本当の地獄の始まりだった。。。
今回はそこからビルメンになる前の事まで書いていこうと思う。
ニートの後は職を転々とする🥺
1年間のニート生活を終えた僕は、再び就職活動を始めた。
運転免許を取ったのもあるし、流石に親の目が厳しくなってきたのもある。
そして、この転職活動以降は職を転々とする事になる。
面接はパターン化する事でこなせるようになったけど、社会性のなさはどうしようもなくて、仕事を続ける事ができなかった。
まぁ空気は読めないどころか、コピー取りみたいな雑用も出来なかったから、仕方がないと思う。
で、ビルメンになるまでに以下の仕事を経験している。
- 照明器具商社の営業事務×2
- 不動産営業×3
- 足場工×2
- コンクリート検査員×2
- ダムの土木工事×1
- 制御盤設計×2
- 人材派遣会社×5くらい?
ここに書いたのは僕が覚えている仕事だけだから、実際はもっと転職している。
やっぱり25社近く転職していると、どんな会社にいたかなんて流石に忘れるよ。
(てか、転職回数が25社なのも怪しい😓)
最初は正社員で働いていたけど、最終的には派遣社員になって、その日暮らしをしていた。
ここまでだと正社員は無理だと悟ったから、金がなくなると派遣で食いつなぐ生活にシフトしていた。
で、赤字にしているのは僕が解雇された事のある職種だ。
最初にクビになったのは不動産の営業で、社用車を1か月で4回ぶつけたらその場でクビになった。
その他でも空気を読めずに同僚と諍いを起こしたり、仕事ができなさ過ぎてクビになる事が多かった。
まぁ、全部で4~5回はクビになっていると思う。
この4年間は本当に暗黒期で、仕事が全然続かなくて、経済的に困窮した。
この期間の平均年収は200万円を切るんじゃないかと思う。
だから、この期間は親に生活の面倒を見て貰った。
両親はこんな僕を怒らず、黙って見守ってくれたから、本当に感謝しかない。
こんな感じで金銭面はきつかったけど、実際は結構楽しい生活だったと思う。
普通なら仕事が続かない事で悩むと思うけど、僕はあまり悩まなかった。
僕は飽き性なのもあって、同じ仕事を続けるのが辛いと思っていた。
だから、色んな仕事を転々とするのが性に合っていたのだ。
実際、仕事が安定した今の方が、精神的にはきついかもしれない。
そう言う点ではお金的には暗黒期でも、精神面では暗黒期ではなかったのかもしれない。
25歳の時に発達障害の診断を受ける
僕は25歳の時に発達障害の診断を受けた。
うろ覚えだけど、その時はコンクリートの検査員をやっていたと思う。
きっかけは同僚の話がきっかけだった。
その同僚の息子さんがアスペルガー症候群(今のASD)の診断を受けた話を聞いたのだ。
その息子さんの様子が僕の子供の頃の様子と非常に似ていたから、近くの精神科に行って検査をしてもらったわけだ。
発達障害の検査は、医師の問診と知能検査を行った。
問診では医師が通知表をみながら、僕の成育歴について詳しく聞かれた。
途中で学生時代のいじめの話を聞かれた時は、心にどす黒いモノが出たのを覚えている。
知能検査はWAIS-Ⅲを行った。
2023年現在ではWAIS-Ⅳが使われているけど、当時はこれが主流だった。
これは臨床心理の質問に答えながらやるテストで、積み木を言われた通りに並べたり、一般知識の問題について答えた気がする。
で、以上の検査を受けた結果、僕はアスペルガーとADHDの診断を受けた。
その中でも、社会性のなさやコミュ障が特性として目立つとのことだった。
まぁ、確かにどの職場でも人と仲良くなれなかったから、確かにそうだなとは思った。
その後はカウンセリングと投薬治療の為、定期的に病院へ通った。
カウンセリングは悩みを話しても、具体的な解決策が出なかったから、あんまり意味なかったと思う。
薬はストラテラを服用した。
この薬を飲むと、頭のノイズがなくなって注意散漫がなくなるから、仕事でのミスが少なくなる。
まさにスーパーサイヤ人になった気分だ。
まぁでも、社会性やコミュ障は治ってないから、相変わらず仕事が続かなかった。
また、吐き気の副作用がきつかったから、体調的にも結構辛かった。
こんな感じで、ビルメンになるまでは発達障害を抱えつつ、職を転々としていく事になる。
まとめ
今回は1年のニート生活後からビルメンになるまでの経歴を書いた。
この時期は本当に職を転々としていたし、経済的にも貧乏だったから、そう言う点では暗黒期だったと思う。
ただ、さっきも書いたように色んな仕事を経験できたから、飽き性の僕としては非常に楽しかったと記憶している。
それでも、こう言った生活ができたのは若いからで、30歳を超えた今の僕はこの生活をできる自信はないな。
日本一のニートであるphaさんも言っていたけど、フラフラした生活って若い頃しかできないなと思う。
あと、発達障害の診断を受けたのもこの時期だ。
自分の苦手な事を理解できた点では、診断を受けて良かったと思う。
でも、診断を受けても仕事ができる様になるわけじゃないから、結局生きづらさは変わらない。
そう考えると、発達障害の診断に過度な期待を持つのは辞めた方が良いと思う。
次はとうとうビルメン編に入っていくのでお楽しみに。。。
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