どうも、だらだらです。
巷のネット記事やリタイアブログを読んでいると、幸せと言うワードが良く出てくる。
特に後者では、大体リタイア生活に幸せを絡めてくるからね。
でも、僕は幸福論をあまり好きにはなれない。
正直、昔は幸福論が大好物だった。
でも、これから書く理由を知り、あまり好きじゃなくなったのだ。
今回は幸福論があまり好きになれない理由を書いていく。
幸福を求める人は幸福じゃないから😓
一番大きな理由はコレだ。
幸福を求めている人って、大抵幸福じゃない。
空気と一緒で幸福が当たり前なら、幸福なんて誰も求めないからね。
そう考えると、他人の幸福論ほど意味のないモノはないだろう。
だって、幸福論を唱えてる人は自分を幸福にできてない人間だよ?
自分すら幸福にできない人の話を聞いても仕方ないと思うのだが。。。
僕はこの事に気づいて、幸福論に絶望したのだ。
だからこそ、幸福論にあまり興味を持たなくなったわけ。
もちろん、幸福論を唱えている人でも幸せな人はいる。
それは、幸福論で金を稼いでる奴だ。
彼らがセミナーで幸福論を唱えると、聴衆は彼らに高い金を払う。
幸福論を唱える度に、裕福になるのだから幸福に違いないだろう。
そう考えても、僕は幸福論はあまり上等とは思えないのよ。
幸せは後になって分かるモノ🤔
これは持論だけど、幸せってその時は分からない。
その時は必死に生きているから、幸せを感じる余裕なんてないからだと思う。
よって、幸せはのちのち気付くものだと思うのよ。
僕はその事を職を転々とした事で学んだ。
仕事が続かなかった20代、当時の僕は幸せを感じる事はなかった。
どの仕事に就いても上手く行かなかったし、障害の診断にも振り回されたしね。
何で人生上手く行かないんだろうと不平ばかり言ってた気がする。
でも、今から当時を振り返ると、この時ほど幸せだった時代はないと思うんよ。
大変だったけど、この時は若かったから色々挑戦できた時代だった。
(飽き性の僕からすると、転々とするのは良かった😗)
仕事も未経験で受かったから、色々な仕事を経験できたしね。
(そのおかげで、今があると思うよ🥰)
30後半になると、未経験で仕事に受からないから、新しい挑戦は難しい。
そう考えると、この時期ほど輝いていた時期はないなとも思うわけ。
こんな感じで、幸せって後で振り返って気付くモノだ。
結局、今の人生を懸命に生きるしか選択肢はないと思うんよ。
そう考えると、幸福論を知った所で、自分の行動は変わらない。
だからこそ、幸福論の有用性を僕は見出す事が出来ません。
人によって違いすぎるから🙄
幸福論は幸福を追求する学問だ。
この学問は、統計的な有意さを見つける事で、幸福の正当性を主張するのだ。
でも、幸福って人によって、考え方が違いすぎる。
100人いれば100人の考え方があるんだもの。
要するに、統計における分散が大きいわけ。
そして、統計の有意さは、分散が大きければ大きいほど、有効ではなくなる。
そう考えると、幸福論ってあまり役に立たない気がする。
参考程度になればいい位だと思うよ。
まとめ😎
今回は幸福論が好きじゃない事について書いた。
結局、幸福論なんて今不幸な奴の戯言なのよ。
だから、そんなの気にしても仕方がないと言える。
それよりも、今の状況が少しでも良くなるように合理的に動く方が大切だ。
そう考えても、幸福論はやっぱりいいモノじゃないと言える。
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