どうも、だらだらです。
障害の事を調べていると、ある一つのワードに必ず行きつく。
自己肯定感だ。
この言葉は、以下の2つの意味で語られる事が多い。
- 自分の事をポジティブに思える事
- 社会の中で自分らしくあって良いと思える事
確かに、人間が生きる上で自己肯定感は大事と思うよ。
(流石に自己肯定感ゼロは自殺に繋がるからね😣)
でも、世間一般に言われる自己肯定感に、僕は何となくなじめないんよ。
今回は自己肯定感について、僕の私見を書いていきたいと思う。
自己肯定感=ポジティブじゃない🙄
さっき自己肯定感とは、自分をポジティブに思える事であると書いた。
(これは一般的な定義ね😆)
でも、自己肯定感=ポジティブって、あまり当てはまらないと思う。
なぜなら、無知な人間でもポジティブになれるからだ。
(ダニング=クルーガーの法則通りだね😑)
これは投資を例にすると良く分かる。
株価が好調な時、投資に無知な人間ほど投資の素晴らしさを語りたがる。
逆に、投資をある程度知っている人は淡々としている事が多い。
(投資の現実を知っているからね😆)
そういう点では、無知な人間ほど投資にポジティブだと言える。
でも、こう言う人は暴落時に弱い。
今までポジティブだったのが、急に弱気になる。
そして、感情的な行動を取って、投資に失敗するわけ。
自己肯定感の高さを自認する人も大体これと一緒。
普段はポジティブな事ばかり言うけど、いざと言う時に急に弱気になる。
結局、彼らのポジティブはメッキみたいなしょぼいモノなのよ。
そう考えると、ポジティブな人よりも淡々としてる人の方が自己肯定感が高いと思うよ。
以上の点から、自己肯定感=ポジティブは間違っていると言える。
自分らしさは自分勝手に繋がる🤮
自己肯定感は自分らしくいられる事でもあるらしい。
ただ、この定義の自己肯定感もまがい物に僕は感じるのよ。
なぜなら、自分らしさは時に自分勝手に繋がるからだ。
何も考えずに自分らしく生きるだけだったら、赤ちゃんでもできるよ。
(赤ちゃんは自分の快不快に素直だからね👶)
難しいのは社会や周りと調和と取りつつ、自分らしさを出していく事だ。
個性と調和は、大体ぶつかる事が多いからね。
でも、自己肯定感の話を見てると、その点に言及している人はほとんどいない。
とにかく、自分らしくあればいいとしか言ってないんだよね。
もちろん、調和をかなぐり捨てても、個を通すべき時はある。
例えば、仕事でうつ病になりそうなら、周りの迷惑を考えずに仕事を辞めるべきだ。
でも、普段から自分らしく生きてたら、同僚から嫌われて仕事に支障が出てくるよ。
そう考えると、調和できる為の対策なしにこの言葉を使うのは意味がないと言える。
本当の自己肯定感は現実を受け入れる事😣
今まで世間一般の自己肯定感をこき下ろしてきた。
では、僕にとっての自己肯定感とは何かを話していく。
僕は自己肯定感を現実を受け入れる能力だと思っている。
良い事も悪い事も淡々と受け入れていく感じだ。
結局、現実をそのまま受け入れるのが一番難しいのよ。
それは、嫌な現実を直視する事と同義だからね。
(くねくねを見るのと同じくらい辛いと思う😅)
それができないから、ポジティブを装ってみて見ぬふりをしたり、自分らしさに逃げるわけ。
僕はその事を発達障害を受容する過程で学んだ。
(そういう点では発達障害で良かったよ🥰)
僕も昔はポジティブになったり、自分探しをしたりと本当に迷走してたよ。
その結果、現実は変えられない事を悟り、今に至った。
今は現実を淡々と受け入れて、できる事をやるしかないと思ってる。
以上をまとめると、僕にとっての自己肯定感とは嫌な現実を直視できる強さなのかもしれない。
まとめ😎
今回は自己肯定感について持論を書いた。
自己肯定感の本質は、辛い現実の捉え方だ。
辛い現実に対して、どのように自分が捉えるかと言う事。
そう考えると、辛い現実から逃げずに直視できる事が一番いいじゃないか。
だからこそ、僕は自己肯定感を現実を受け入れる事としてるのだ。
とは言え、僕だって全部の現実を直視できてるわけじゃない。
時には辛いくて逃げてしまう事もある。
(しょっちゅう逃げてるかも🙄)
でも、心が壊れない程度には立ち向かおうとは思ってる。
そういう点では、多少は違うのではないだろうか?
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