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僕の人生遍歴(障がい者雇用・ビルメン編①・28歳~35歳)

どうも、だらだらです。

 

とうとうこのシリーズもビルメン編に突入する。

 

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前回の記事では仕事が長続きしなくて底辺を這いずり回ってきた事や25歳の時に発達障害の診断を受けた事を書いた。

 

今回はその続きから書いていこうと思う。

障害者雇用で働こうとするも速攻で挫折する😔

今まで書いた通り、20代後半まで僕は職を転々としてきた。

 

根無し草の生活は結構楽しかったけど、このままの生活を一生は出来ないなと思っていた。

 

生活が安定しないのも辛いし、何より両親が心配している事を考えると、なるべく安定した生活がしたかった。

 

そう思った僕は、28歳の時に障がい者雇用で働く事を決心する。

 

障害者雇用は滅茶苦茶給料が安い。

 

だけど、大企業に入りやすく仕事が長続きする可能性が高い。

 

僕は給料の安さから障碍者雇用を避けてきたけど、自分の年齢がアラサーになったのもあり、流石に贅沢を言ってられないと思ったのだ。

 

で、さっそく障がい者雇用に向けて動き出したんだけど、その夢は速攻で挫折する。

 

なぜなら、かかりつけ医が手帳申請用の診断書を書いてくれなかったからだ。

 

当時の僕は手帳を持っていなかったから、申請に必要な診断書の作成を医者にお願いした。

 

でも、なぜかそのかかりつけ医は僕に診断書を書いてくれなかったのだ。

 

医師は障がい者雇用は僕にはもったいないとか言って、診断書の作成を拒否してきた。

 

正直、僕はふざけるなよと思った。

 

当時の僕は仕事が続かず、経済的にかなり苦しかった。

 

それに根無し草の様な生活に疲れてきていて、精神的にも結構来ていたのだ。

 

そんな困っている人間に対して、医師が福祉の利用を断るのはおかしいだろう。

 

その後も何度か診断書の作成をお願いしたけど、結局診断書を書いてくれる事はなかった。

 

そんなわけで手帳を取る事ができず、僕の障がい者雇用の夢ははかなく散る事になった。

知り合いの紹介でビルメンになる😊

障害者雇用を挫折した後は、相変わらず根無し草の生活をしていた。

 

金がなくなったら派遣で食いつないだり、正社員に挑戦して短期離職をしてたりした。

 

そんな折、知り合いのオッサンからビルメンにならないかと言う話があった。

 

その人は昔雀荘で知り合った人だ。

 

その人曰く、自分の定年退職で現場に欠員が出るから、その後任にならないかと言うのだ。

 

給料は安いから迷ったけど、ネットで調べると楽な仕事だと書いてたから、そのビルメン会社に入社する事にした。

 

僕の配属された現場は中規模の物流倉庫で契約社員として入社した。

 

この現場は非常に楽な現場で、やる事がほとんどなかったし、トラブルも業者任せでよかった。

 

なので、一日中事務所に待機する事が多く、勤務中は同僚との雑談やスマホをいじる事が多かった。

 

こんな感じで仕事的には最高だったんだけど、この現場の人間関係は最悪だった。

 

この現場は偏屈なジジイが多かった。

 

だから、若手の僕はちょっとした事でボロクソ怒鳴られたし、無視なんかも普通にあった。

 

そのくせ彼らは仕事が全く出来ないから、そのしわ寄せは僕の方に回ってくる。

 

こんな感じだから、僕ははっきり言ってこの現場が嫌いだった。

 

その一方で、ビルメンの仕事には手ごたえを感じていた。

 

この仕事に就いて、僕は初めて人並みに仕事をする事ができたからだ。

 

今までは無能扱いをされたけど、ビルメンになってからはそれが一度もなかった。

 

なので、長くこの会社にいる事は無いけど、ビルメン業界には長くいたいなとは思った。

 

結局、1年後に契約満了の期限が来た為、契約を更新せずに会社を辞めた。

転職して工場ビルメンになる😎

その後、僕は系列系のビルメン会社に転職した。

 

系列系ビルメン会社とは大企業の親会社があるビルメン会社の事だ。

 

系列系の良い所は給料や会社の安定性が良い所だ。

 

ビルメン会社と言っても、一応大企業の子会社だから、結構福利厚生が良い会社も多い。

 

そして、僕は一つの会社で長く勤めたいと思っていたから、系列系の会社に入ったわけだ。

 

僕は工場の現場に配属された。

 

もちろん、今度は正社員だ。

 

この工場はかなり大きくて、設備員だけで約30名以上いる現場だった。

 

そして、この現場は仕事で要求される水準が高く、かなりきつい現場だった。

 

設備の故障も小型ポンプくらいなら自分たちで交換するし、工事業者との調整や見積の作成もやらされた。

 

前職ではずっとスマホをポチポチしていたから、工場に来た当初は軽いカルチャーショックを受けた。

 

まぁ、要するにハズレ現場に配属されたわけだ。

 

ただ今考えると、この現場を経験できて本当に良かったと思う。

 

当時はきつかったけど、レベルの高い環境で設備管理の実務経験を積めたのはやっぱりデカい。

 

実際、今の職場でトラブルを解決できるのも、この現場の経験があるからだ。

 

なので、この現場の経験は僕がビルメンとして生きていく、大きな土台になっているのかもしれない。

 

そして、前職と違って人間関係もかなりよかった。

 

一癖ある人はもちろんいたけど、仕事が嫌になるレベルの同僚はいなかった。

 

そう言う点では、今ほどいい職場はなかったかもしれない。

 

また、仕事も人並みにできたから周りから頼られる事も多かったし、給料も年収で400万円以上あった。

 

そう考えると、仕事面・人間面とも非常に順調だっだと思います。

まとめ

今回は障がい者雇用の事とビルメン初期について書いた。

 

障がい者雇用がきっかけで安定を求める様になり、ビルメンに出会って実際に経済的な安定を得る事が出来た。

 

特に工場ビルメンでは仕事が順調になり、今までの無能扱いからは脱する事ができたのは良かったなと思う。

 

そう考えると、ビルメンを紹介してくれたオッチャンに感謝しないとね。

 

次の回ではここから現在までの遍歴を書くので、多分最終回になります。

 

読んでいる人がいるか分からんけど、いるならぜひともお楽しみに。

 

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