どうも、だらだらです。
久しぶりに質問箱から質問が届いた。
僕はアクセス数よりもコメントや質問の方が嬉しい人間だから、こう言った質問は本当に嬉しい。
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さて、今回は質問に答える為に僕の学生時代について記事にしていく。
(重い内容で不快な表現もあるから、閲覧注意。)
(厳しい人はブラウザバックして下さい。)
僕の学生遍歴概要
僕の幼稚園から大学までの遍歴は以下の通りだ。
- 公立の幼稚園
- 公立小学校
- 公立中学校
- 私立高校(偏差値60弱)
- 私立大学(MARCHレベル)
僕の家は貧乏ではなかったけど、金持ちでもなかったら幼稚園から中学校までは普通に公立の学校に通った。
高校に関しては私立の高校に通った。
偏差値は大体60弱はあったと思う。
そして、そのまま普通に受験勉強をして、MARCHレベルの大学に進学している。
(てか、MARCHの大学です。)
この間、留年や不登校、浪人もせずにストレートで進学している。
以上が僕の学生遍歴の概要だ。
こうして見ると、何の苦労もなく学生時代を過ごしている様に見える。
でも、実際は挫折ばかりで地獄みたいな生活だった。
てか、発達障害持ちでコミュ障の僕が素晴らしい人生を歩めるわけないだろう。
それを説明していきたいと思う。
幼稚園・小学生時代
幼稚園時代はそこまで苦労する事はなかったと思う。
(覚えてないだけかもしれないが。。。)
友達はいなかったけど、一人遊びをしていればよかったから何の問題もなかった。
でも、小学校に入ってからは地獄の生活が始まる。
なぜなら、僕は健常者が簡単にできる事が全く出来なかったからだ。
まず僕は連絡帳をきちんと書く事ができなかった。
僕は元々板書が苦手な為、小学生の頃は黒板の文字をきちんとノートに写す事ができなかった。
連絡帳が書けないから、家で宿題をやる事ができなかったし、時間割が出来ないから忘れ物だらけだった。
また、発達障害だから集団行動がすごく苦手だった。
体育や理科の実験などで共同作業がある時に、自分の行動を周りに合わせる事ができなかった。
だから、僕は周りに迷惑をかける事が多かったし、当然クラスメートや先生から嫌われる事が多かった。
その為いじめられる事も多く、いじめがひどかった小学5年生の時は教科書を全て燃やされた事もあった。
(まぁ、その後僕がブチ切れて、教科書を全部弁償させたけど。。。)
ただ、この時はまだ少ないけど友達がいた。
僕は将棋をやっていたから、それ関係の友達だ。
彼らとは毎日遊んでいたから、そう言う点では僕は孤独ではなかったと言える。
でも、全体的には周りに馴染む事ができなくて、不適合を起こす事が多かったなと思う。
中学時代
僕にとって中学時代は本当に暗黒期だった。
中学になると、小学校に比べて必要なコミュニケーションのレベルが格段に上がる。
なので、元々コミュ障だった僕は、周りの話についていけなくなった。
小学校の時には多少友達がいたけど、中学生になると全く友達ができなくなっていた。
一応卓球部に所属していたんだけど、雑談できる友達は一人もいなくて、事務的な会話以外をした記憶がない。
ただ、僕としては友達がいない事をそこまで辛いとは感じなかった。
なぜなら、その当時の僕はあまり他人に興味がなかったからだ。
それよりも、自分の家に引きこもってゲームや妄想をしている方が楽しかった。
だから、他人との交流は僕にとって面倒くさい以外の何物でもなかったのだ。
なので、孤独自体は最高だったのだけど、友達がいないと学校生活に支障が出るようになった。
学校では○人組を作る事が多いんだけど、組む人がいなくて本当に困った。
また、中学になるといじめもかなりエスカレートして、暴力を振られるようになった。
僕は無視されても辛くないけど、体が痛いのは流石に辛い。
また、女子のクラスメートから性的いじめも受けたのも本当に辛かった。
裸にさせられて公開オナニーさせられた時は、生まれて初めて死にたくなった。
そう言うトラウマがあるから、僕は今でも女性が苦手で、できるだけ話したくないと思っている。
まぁ、こんな感じで学校生活はいじめのせいで散々だった。
それでも、不登校にならずに済んだのは将棋のおかげだ。
当時の僕は、週2~3回将棋を指しに居酒屋へ行っていた。
その居酒屋は将棋が指せる居酒屋で、大人の人はみんな酒を飲みながら将棋を指すお店だった。
お店の人やお客さんはスゴク優しくて、僕をいじめる事はしなかった。
むしろ、夕飯を毎回おごってくれたし、僕と将棋を指すのを楽しみにしてくれた人もいたくらいだ。
僕はこう言った逃げ道があったからこそ、地獄の様な中学校を不登校にならずに済んだのかもしれない。
そう言う点では、中学校時代は本当に暗黒期だったけど、逃げ道を作る大切さを学べたとは思うね。
高校時代
さっきも書いた通り、僕は私立の高校へ行った。
私立に行ったのは公立高校に落ちたからではなく、中学の友達に会いたくなかったからだ。
その為、県外の高校にわざわざ行ったというわけだ。
で、肝心の高校生活だけど、中学時代よりはるかにマシになった。
多少のいじめはあったけど、偏差値が高い高校だけあって、暴力や性的ないじめは全くなくなった。
ただ、僕は偏差値ギリギリで入学しているから、勉強についていけず、テストは下から10番以内の成績だった。
また、自由な校風で部活加入は任意だから、部活には入らなかった。
中学のトラウマがあって、できるだけ学校の人とは関わりたくなかったからだ。
なので、中学の時と同様居酒屋に行って将棋を指したり、新しく覚えた麻雀を打つ事が多かった。
そして、高校2年生の3学期から僕は受験勉強を始めた。
当時の僕の偏差値は40前半だったから、決死の勉強をする為に将棋と麻雀を一切辞めた。
あとは、一日12時間くらいの勉強を毎日続けた。
そうすると、ビリ近かった成績が20番以内に入れるようになった。
僕の高校は学年で200人くらいいたから、大したものだと思う。
今までバカにしてきたクラスメートを追い越して見下すのは非常に気分が良かった。
そして、結局僕はMARCHの大学に入る事ができた。
本当は早稲田に行きたかったけど、学力が少し足りなかったから仕方ない。
以上が僕の高校生活だ。
相変わらず学校は嫌いだったけど、将棋の他に麻雀を覚えてそれなりに楽しい生活を送る事ができた。
ただ、女性へのトラウマが抜けなくて、恋愛はからっきしだったのはかなり残念だ。
それでも、中学の暗黒時代に比べたらかなり良かったのかなと思うね。
まとめ
今回は僕の幼稚園から高校時代の遍歴を書いた。
本当は全部の経歴を一つの記事にしたいけど、文字数が多いから流石に記事を分けたいと思う。
読んでわかる通り、僕の青春は本当にひどいモノだった。
普通の人なら女子の前でオナニーさせられる事もないし、教科書を全部燃やされる事もないだろう。
だから、当時の事を思い出すと、未だに心がどす黒くなるのを感じる。
その一方で、この辛い経験があるからこそ今があると思っている。
失敗が僕を成長させてくれたからこそ、今の自立した生活があるのだ。
そう言う点では、この経験は僕の苦しみの根源であると同時に、僕の生き抜いてきた勲章・誇りだと思っている。
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