どうも、だらだらです。
日本人は努力を過剰評価している気がする。
もちろん、努力は悪い事じゃないよ。
でも、努力したい人が勝手にやればいい程度のモノだと思う。
だから、努力する=エライと言う考えには全く納得できない。
今回は、努力をエライと思わない理由を記事にしていく。
努力は手段にすぎない🤣
努力って、目的を叶える手段に過ぎないんですよ。
自分が叶えたい目標があり、それを達成する為に勝手に努力しているだけ。
大事なのは目的であり、努力自体に価値はないのだ。
例えば、爪を切りたいと言う目的に対して、爪切りと言う道具がある。
当然、その人は爪切りで爪を切るだろう。
努力の場合もそれは同じ。
目的があり、それを叶える手段として努力がある。
努力を褒めるのは爪切りを褒めるようなモノで、おかしい事が分かるだろう。
それと、僕は努力に関して好きな名言がある。
それは元プロボクサーの輪島功一さんの言葉だ。
かれは努力について以下のように話している。
はっきり言って減量しなくていい階級が選手にはある。でも、それでは勝つ可能性が低いから減量をするわけ。ボクシングは減量があるということで大変だと思われるかもしれないけど、しなくてもいいわけ。食事も好きなもの食べてもいい。でも、勝つ可能性を上げるために減量をする。だから、減量、減量言うなと。
なかなか皆は言わないけれど、減量っていうのは自分よりも小さい相手、やりやすい相手と戦うためにするもの。だから減量がつらいとかは言い訳になるから言うなと。自分が勝つために、僕はリーチがなかったから戦える相手とやるために減量した。減量というのは勝つためにやるもの。
(引用元:ボクシングの不思議「減量って何でやるの?」 - Sportie [スポーティ])
努力の本質をこれほど捉えた言葉はないと思う。
努力はあくまでも自分の為にやるもの。
自分が好きでやってるだけであり、努力自体で評価を貰おうなんて間違ってる。
そう考えると、努力した事を成果として語る人が僕は嫌いなんだよね。
そして、これがあるから僕は努力を全くエライと思わないわけだ。
努力する事より大事な事🤔
今まで書いてきた通り、努力する事は全くえらい事じゃない。
それよりも、努力する目的を考える方がよっぽど大切だ。
努力はあくまで、目標を叶える為の手段。
いくら尋常じゃない努力をしたって、目的が犯罪行為だったら意味ないでしょ?
(意味ないどころか、有害まである🤣)
だからこそ、人生の目的を考えるのが重要なのよ。
逆に言えば、そう言ったモノが見つからないなら、努力なんてしなくていい。
のんびり過ごしつつ、自分のペースで目的を見つければ良いと思う。
目的のない努力ほど、不毛な事はない。
報酬がないのに仕事を頑張るサービス残業みたいなモノだ。
(仕事が好きすぎる人は楽しいだろうけど🙄)
だからこそ、努力する目的が出てくるまではのんびり過ごそうよ。
努力を手段と考えると。。。🥰
努力を手段化すると、良い事も多い。
まずストレスがなくなる。
努力は基本的に苦痛である事が多い。
特に意味ない努力はムチャクチャしんどいよ。
(自分で掘った穴を自分で埋める仕事を想像してほしい🤮)
でも、努力を手段化する事で、無駄な努力が少なくなるからストレスは当然減る。
(完全にゼロにはできないけどね😑)
また、努力する時も見通しが立つから精神的に楽になる。
努力の目的を意識すると、ゴールまでの道筋が見える。
そうすると、どこまで我慢すればいいか分かるから、精神的に楽になるのだ。
ビールの為にサウナで我慢するように、人は希望があれば地獄でも頑張れるのだ。
そう考えると、努力を手段化する事は、人生のQOLを上げると思うね。
まとめ😎
今回は努力を全くエライと思わない理由を書いてみた。
努力はあくまでも道具に過ぎない。
人生の目的を叶える為の。。。
そう考えると、目的を考える方がよっぽど大事だと言わざるを得ない。
ことわざにも働き一両に対して、考えは十両だからね。
(無欲になると、万両になるらしい😆)
そう考えると、努力を手段化する事は良い事だと思います。
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