どうも、だらだらです。
昨日清掃のおばちゃんと話していたら、今の世の中は物騒になったと言われた。
話を聞くと、どうやら発砲事件が立て続けに起こったから、物騒だと思ったらしい。
参考記事
一応その場ではうなずいたけど、この2つの事件だけで日本社会を物騒と言うのは間違っていると思った。
なぜなら、こんな事件なんて例外中の例外でしかないからだ。
今回はこの事をテーマに記事を書いていく。
今の日本はすごく・・・平和です・・
まず、今の日本は物騒じゃない。
むしろ、歴史上で一番平和な時代だと思う。
それは統計データを見れば一目瞭然だ。
出典:警察庁ウェブサイト(https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/kurashi/drug/kenju/genjo.html)
古いデータで申し訳ないが、上の統計は平成8~27年の発砲件数をまとめたものだ。
見てわかる通り、この20年弱の間に発砲事件は大幅に減少している。
ちなみに、令和3(2021)年の発砲事件数も10件だから、平成27年度とほとんど変わらない。
以上の事を考えると、今の日本はすごく平和なのだ。
よって、今回起きた銃乱射事件は例外的な事件であり、その事件を社会全体に当てはめるのは間違っていると思う。
例外的な事を社会問題化させる理由
今回の様に、例外的に起こった事件を社会全体の問題にとらえる人は多い。
ちょっと考えれば簡単に分かりそうな事だけど、なかなか統計的に考えられる人は少ない。(僕も普通に間違える側だ。)
そして、こう言った事が起きる理由は、脳の仕様に問題があるからだ。
その仕様とは、情報の脳内補完機能ととピークエンドの法則だ。
情報の脳内補完とは、判断を下す為の情報が足りない時、脳が勝手に情報を補完する機能の事だ。
人間の脳は即座に判断する事を好むから、足りない情報を想像で補う事で迅速な判断を可能にする。
なので、補完した想像が間違っていると、当然その判断も間違う事になる。
また、ピークエンドの法則とは情報を集める時に、注目度が高い情報と最後の情報に偏る法則だ。
例えば、音楽でサビだけを覚えているのは、ピークの部分の情報を偏って得ているからだ。
今回、清掃のおばちゃんが2つの事件で世の中を物騒だと判断したのも、銃乱射事件と言う注目度が高い情報に偏った為、補完した想像を間違えたわけだ。
そう考えると、この手の間違いは誰でも犯しうる間違いだから、自分も気を付けなくちゃと思う。
メディアの情報はほぼ例外です
僕を含めて多くの人は、メディアから大半の情報を得ている。
そうなると、脳内の情報はメディアの情報が多くなるから、脳はメディアの情報を普通の情報だと認識するようになる。
しかし、気を付けないといけないのは、メディアの情報は基本的に例外的な事象をテーマにしている事だ。
メディアは広告業だから刺激的な記事を書く為に、どうしても例外的なテーマの記事が多い。
それを忘れてしまうと、メディアの情報を普遍的な情報だと思い込み、全く見当違いな判断をしてしまうのだ。
そうすると、情報に振り回されるようになるから、あんまりよくないと思う。
まとめ
今回は、世の中が物騒になったと言う意見について、批判的に考えてみた。
日本は物騒になったと言う人がいるけど、そんなのは嘘っぱちであり、今ほど平和な時代はない。
ただ、今は情報が溢れている時代だから、それに振り回される人が多いのだと思う。
そう考えると、今の時代は情報を得る事よりも、情報を捨てる事の方が重要なのかもしれない。
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