どうも、だらだらです。
最近休みが多い事もあって、いくつかの当事者会に参加した。
当事者会とは発達障害を持っている人が悩みなどを話す茶話会の事だ。
そこで思ったのは、僕は発達コミュニティですら浮いているのではないかと言う事だ。
正直、一般社会で何とかやれるコミュ力は身についたから、この事は結構ショックだった。
今回はその理由を考えてみたいなと思う。
雑談が壊滅的にできない😥
まず考えられるのは、仕事のコミュ力は上がっても、雑談のコミュ力は変わってないのかもしれない。
ここ数年は一人で働いているから忘れていたけど、僕は雑談が壊滅的に苦手だ。
逆に仕事に関するコミュニケーションは結構できたりする。
その違いは目的の有無だと思っている。
仕事の場合は納期があったり、解決すべき問題があるなど、何かしら達成したい目的がある。
なので、その目的に向かって系統立てて話を進めれば、簡単にコミュニケーションが取れるわけだ。
その一方、雑談の場合はそう言った目的がない。
そうなると、最終地点が分からないから、何を話せばいいのか分からなくなるのだ。
例えると、ピースの欠けたパズルを解くようで、僕には到底解けそうもない。
また、話題がコロコロ変わるのも雑談の悪い所だ。
今まで書いた通り、僕は体系図がある程度見えないと人と話す事ができない。
(体系図は全体の論理図みたいな感じです🙂)
なので、話題が変わるとその度に話の体系図をアップデートする必要が出てくる。
雑談みたいに話題がコロコロ変わると、アップデートの頻度が多くなるから、ものすごく消耗してしまう。
そうすると、頭が疲れて来て上手く話せなくなってしまうのだと思う。
実際、会の最初は上手く話すことができたけど、最後の方は支離滅裂だったと感じている。
以上の事を考えると、雑談ができない事が発達コミュニティで浮く原因の一つだと思う。
困っている事があまりない🙄
普段の生活で、僕が困っている事ってあまりない。
仕事は人並みにできる様になったし、現時点で老後の貯えも出来た。
(自分の運の良さに感謝です🙏)
そう考えると、そもそも人に話せる悩みがないわけだ。
さっきも書いたけど、当事者会は障害に対する悩みを打ち明ける場だ。
なので、悩みがない僕が当事者会に行っても、話が合わないのは当然かもしれない。
あと、ここ5年くらい安定した生活を送ってきて、辛い人の気持ちに共感できなくなっているのもある。
僕も若い時につらい経験をしたから多少は分かるつもりだけど、共感する力は大分落ちている気がする。
喉元過ぎれば熱さを忘れるのことわざ通り、人間は一度安定すると過去の辛い事は忘れてしまうらしい。
以上の事を考えると、話が合わず共感も出来ない僕が発達コミュニティで浮くのは仕方がないのかなと思う。
病み属性が全くない😵
発達コミュニティの人は病み属性を持っている人が多い。
実際にうつ病などの精神病を抱えている人も多いし、そうじゃなくても心がすさんでいる人も結構いる。
僕は決してポジティブな人間じゃないけど、全く病み属性を持っていない。
何でも割り切る性格なので、辛い事があっても人生そんなモノだよねとしか思わない。
病んでる人間に対して、こう言った白黒割り切る人間は合わないと思う。
だって、生きづらさの悩みを、仕方がないの一言で片づけるわけだから。。。
(まぁ、実際はかなりオブラートに包んでいるけどね🤣)
僕のこう言った性格がコミュニティで浮く原因なのかもしれないなと思う。
まとめ😎
今回は僕が発達コミュニティで浮いてしまう件について話した。
僕だって生きづらさは感じているけど、その事であまりウジウジ悩まないからね。
悩んでいる人の場に悩まない人の場に行けば、そりゃ浮くに決まっている。
それでも、僕は当事者に会う機会が少ないから、もう少し当事者会に通いたいなと思ってる。
ただ、この悩まない性格があったから、20社以上転職しても病まなかったのかもしれない。
もし、ウジウジ悩んでいたらアクティブに転職を繰り返す事は出来なかっただろうから。。。
そう考えると、この性格も一長一短だなと思った。
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