どうも、だらだらです。
最近、気になる記事を見つけた。
要約すると、こんな感じだろうか?(できれば元記事を読んでね😉)
- 「介助があっても高校で青春を謳歌する」ための特別支援教育支援員制度が必ずしも当事者の為になってない
- 当事者の意見を聞いてもらえず、健常者の様に主体的に活動できない
- 友達と自然な関りができずに浮いてしまう
- 当事者主体で介助できる社会になってほしい
今回は障害持ちの僕がこの記事について、私見を語っていく。
障害を主張するほど孤独になる😰
障害を持つ当事者側の気持ちはすごく分かる。
僕も障害のせいで辛い目に遭ってきた一人だからね。
クラスに馴染めなくていじめられたし、集団行動が出来なかったら友達と遊ぶ事もできなかった。
だから、このハンドブックを作った人たちが批判されるのはおかしいと思う。
(障がい者も健常者と同じように生きる権利があるからね😑)
一方で、現実的に考えると、当事者主体は上手くいかない。
なぜなら、人は本能的に特別扱いを許容する事が出来ないからだ。
頭では障がい者の権利を認めるべきなのは分かってる。
でも、障がい者が特別扱いを受けると、本能的な忌避感が発生してしまうのだ。
よって、障がい者の権利が強くなるほど、周りの人から腫物扱いされるようになる。
表面的には愛想良くしてくれるけど、親しい友達にはなってくれないわけ。
(ある意味いじめられるより辛いぞ🤮)
そう考えると、当事者主体で上手く行くと考えるのは短絡的だと思う。
まぁ、支援がない方が友達ができるとは限らない。
そういう点では、この問題は難しいと思うね。
失敗や挫折が青春になる🤮→🥰
青春の価値って、大人になって振り返った時に決まる。
だから、高校生時代が楽しかったか否かはあまり関係ないと思ってる。
(テストの結果だって、後からじゃないと分からないでしょ?🤔)
そして、今思い返すのは苦しい事ばかり。
学生時代にいじめられた事や職を転々としたことばかり思い出すよ。
(ブログでも失敗談ばかり書いてるでしょ?🤣)
不思議な事に、成功した事や楽しかった事はあまり思い出さなかったりする。
そう考えると、青春って若い頃にどれだけ苦しんだかによって決まるのかもしれない。
僕はそう考えているから、過去の辛い経験を悪いモノとは思ってない。
いや、むしろ誇りに思ってる感がある。
だって、今の自分があるのはこの時の辛い経験があるからだもの。
そのおかげで、自分に自信を持つ事ができた。
今も仕事が合わなくて苦しんでる。
でも、心配はしていない。
あの地獄を乗り越えて来た僕だから、きっと何とかすると思ってる。
そう考えると、苦しい青春は大人になった時のバックボーンだと言える。
まとめ😎
今回はネット記事の感想記事を書いた。
理想から言うと、このハンドブックの内容は正しいかもしれない。
当事者主体を達成できれば、障がい者の生きづらさは軽減されるだろう。
でも、それを支える健常者の負担は増える。
そうなると、健常者に邪険にされて、障がい者が孤立する事になりかねない。
だからこそ、このハンドブックには賛同できないかなと思ってます。
ブログランキング参加中😁
面白くても面白くなくてもクリックお願いします🥺
質問大募集
匿名でだらだらに質問しよう🙄✋