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人生は数学じゃない理由を考えてみる

どうも、だらだらです。

 

最近、夏っぽい気温だからTUBEの歌を聞いた。

 

TUBEの歌は結構好きなんだけど、僕が一番好きな曲は「一人になっちゃた」だ。

 

その中でも、「人生は数学じゃない」と言うフレーズが好きで、その部分だけでもたまに聴きたくなる。

 

正直、人生に数学は役立つとは思う。

 

でも、人生=数学なのは間違っていると思う。

 

なので、今回は人生が数学ではない理由を考えてみようと思う。

人生には完璧な前提などない

数学にも色んな種類があるけど、本当に必要なモノは2つしかない。

 

それは、完全な前提と正しい論理だ。

 

ここで言う完全な前提とは曖昧な部分がなく、どんな人間でも同じ結論になる定義の事だ。

 

例えば、「整数において1とは0と2の間の数である」と言う定義は、誰が見ても疑いの余地がないから完全な前提だ。

 

一方で、「Aと言う俳優はカッコいい」と言う定義は、人によって感じ方が違うから完全な定義にならない。

 

この様に定義にも、完全な定義と不完全な定義があるのだけど、現実の人生で現れる定義はほとんど後者の定義だ。

 

普段の生活や会話では、数学レベルの定義は必要ないから、ほとんどの人にとって人生=数学なのは間違っている。

 

まて、ビジネスで統計を使っている人でさえ、人生を数学的に生きていると言えない。

 

なぜなら、統計は見る人によって解釈が異なるからだ。

 

以上の事を考えると、人生を数学的に生きるのは無茶難題だと思う。

論理的な人が多数派なら議論なんて起きない

今話した通り、人生で完全な前提を得る事は難しいけど、正しい論理で考える事も同じくらい難しい。

 

論理とは道筋を立てて考える事で、数学の証明みたいに条件を一つずつきっちり積み上げて、結論を出す考え方だ。

 

もし、論理が正しいなら全ての人が同じ結論になるから、議論なんて絶対に起きない。

 

十進法で「1+1=2」である事を誰も否定しないのと同じように、論理が正しければ議論の起きる余地はないのだ。

 

でも、世の中ではどんな問題でも議論だらけで、議論が起こらない問題など存在しない。

 

論理的な真理を追いかける数学者ですら議論してるのだから、この世界に論理的なものなどないんじゃないかと思う。

 

そう考えると、人間が出来るのはせいぜい不完全な前提と不完全な論理で、論理的っぽく考えるくらいだろう。

 

そう考えると、人生が数学とは言えないんじゃないだろうか?

人生にはリスクと言うブレがある

人生が数学じゃないのは、人生がリスクの塊と言う点も大きい。

 

数学は論理の学問だから、時代や状況の変化で答えが変わる事はない。

 

なので、論理的に正しい思考をすると、必ず正しい結果が出る。

 

でも、人生の場合は論理的な行動を取ったとしても、上手くいくとは限らない。

 

人生の結果は自分の行動よりも外部要因の影響が大きいから、いくら論理的な行動をしても報われるとは限らない。

 

むしろ、夏目漱石の小説で「地に働けば角が立つ」と言っている様に、論理を優先させると人から嫌われて、失敗してしまう事が多い。

 

そう考えると、人生は論理よりも情で動いている世界と言えるかもしれない。

 

とにかく、論理的思考が結果に及ぼす影響が逆なのだから、人生と数学は同じどころか全く逆のモノなのだと思う。

まとめ

今回は人生は数学じゃない理由を考えてみた。

 

もし、人生が数学だったら知能が高い人だけが成功する社会だから、何の面白みもないだろう。

 

論理の世界には人それぞれと言う趣向は許されないから、真に論理的な社会は全体主義の様な窮屈で生きにくい社会になってしまう。

 

そう言う点では、人生は無駄な事や一発逆転のギャンブル要素があるからこそ、面白くて刺激的なのだと思う。

 

まぁでも、数学はやっぱり役に立つ事が多いから、数学の勉強はできるだけした方が良いとは思うけど・・・

 

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