どうも、だらだらです。
死ぬ前にお金を使い切りたいと言う意見をよく耳にする。
この意見を言う人は浪費家に限らず、資産をある程度持っている人にも多い気がする。
(実際、35億の資産家マサニーさんも言ってるしね🙄)
僕の意見は彼らとは真逆で、死ぬ時にお金が余っても気にしない派だ。
正直、資産を使い切ってもいいし、全く手つかずで余っても問題ない。
今回は僕がこのような考えをする理由を記事にしていく。
自分らしく生きる事が大事😑
僕が人生で一番大事にしているのは、自分らしく生きる事だ。
具体的に言うと、毎日をそれなりに楽しく生きていく事だろうか?
(ストレスが適切なのも大事👍)
なので、僕にとってのお金はそれを達成する為の道具でしかない。
空腹を感じたからご飯を食べるのと同じで、生活にお金が必要だからお金を使うに過ぎないのだ。
そんな考えだから、死ぬ時の貯金の多寡なんてどうでもいいんだよね。
(死ぬ時、食料をたくさん保有したいとは思わんだろう?😤)
あくまでも、自分らしく生きれたかが重要であり、それ以外の基準で僕の人生を評価しようとは思わん。
てか、死ぬ前にお金を使い切りたい人はお金に囚われすぎだよ。
自分の欲望よりも、お金を使う事が優先になっているわけだからね。
僕からすると、お金を使い切ろうとする人は目的と手段をはき違えているようにしか見えん。
そして、お金に踊らされた哀れなピエロにしか見えない。
(ピエロは演じているだけだから、ピエロに失礼かもね🤣)
資産が築けるのは自分の力だけじゃない😤
僕には余ったお金を社会に還元したいと言う考えがある。
大なり小なり資産を築けるのって、自分の力だけじゃないからね。
それなりの教育を親が受けさせてくれたり、日本と言う先進国に生まれたからこそ、その人は資産を築けたのだよ。
だから、自分のお金だからと言って、不必要に使い切ろうとするのは傲慢だと思うんだよね。
もちろん、資産を貯めれたのは本人の力もある。
そういう意味では、自分の欲望を満たす為にお金を使う事は悪くない。
(むしろ、当然の報酬だと思う🤗)
でも、不必要なモノを買ってまで、お金を使う必要はないと思う。
そして、死ぬ時まで余ったお金はその人には不要になるから、その分だけは社会に還元すればいい。
おすそ分けじゃないけど、自分がある程度幸せになったら、周りに分けてやるくらいの気持ちは持ちたいね。
そう考えると、死んだ時にお金を使うって、悲しい行為にしか僕には見えない。
お金やモノはあの世に持っていけんのよ😓
当たり前な話だけど、お金はあの世に持っていけない。
棺桶にたくさんのお金を突っ込んでも、燃えて灰になるだけだ。
(遺体が良く燃えるかもしれんが。。。🙄)
だからこそ、お金を使い切るべきと言う人もいる。
でも、お金で買ったモノだってあの世には持っていけないんよ。
そう考えると、お金を使う使わない関係なく、あの世にお金は持っていけないのだ。
話は反れるけど、僕には好きな言葉がある。
永遠というのは人の想いだ 人の想いこそが永遠であり 不滅なんだよ
この言葉は鬼滅の刃に出てくるお館様の言葉だ。
この言葉は命に関する話だけど、お金に関しても同じ事が言えると思ってる。
お金を自分の消費で使うと、モノが手に入る。
でも、それで終わりだから広がりはない。
一方、余ったお金を社会に還元すれば、様々な広がりを見せる。
科学技術に余ったお金を寄付すれば、新しい技術革新により、未来の人たちがより幸せになるかもしれない。
また、子育て支援に寄付する事で、社会的な弱者でも子供を産み、将来の人口問題に貢献できるかもしれない。
そう考えると、余ったお金を社会に還元する事はお金を永遠する事だと言えるだろう。
社会に名前が残るわけじゃないけど、自分の満足感にはなるのかなと思う。
まとめ😎
今回は死ぬ時にお金を使い切りたい人種に対して、自分の私見を述べてみた。
これはあくまでも僕個人の意見だから、この意見が正解だとは思ってない。
てか、お金の使い方は所有者の自由なのだから、正解などないのかもしれない。
でも、正解はなくても品性とか美学とかはあると思うんだ。
そして、そう言った美学を持つ事は自分の人生の満足感を上げてくれるはずだ。
だからこそ、自分なりのお金の使い方を考える事はとてもいい事だと思いますね。
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